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発掘記念に残しときます。
追記:やっつけ仕事で恥ずかしいです。
思ったより恥ずかしいようで、夢に出てきました。
石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』と
斎藤茂吉『赤光』に見る共通点と相違
斎藤茂吉『赤光』は大正二年十月、東海堂書店より刊行された歌集である。茂吉の第一歌集であり、明治三十八年より大正二年までの八百三十三首が収められている。その近代的感覚と内面的で強烈な姓名感は歌壇内外に大きな影響を与え、茂吉の歌集をしても最も著名なものの一つである。
石川啄木『一握の砂』は昭和四十三年十二月東海堂書店にて刊行された。啄木の昭和四十一年から四十三年までの作品五百十一首を収めた歌集である。『悲しき玩具』は明治四十五年六月東海堂書店より刊行された。啄木死後二ヶ月後のことである。当時啄木の歌集は広く一般に認められたとは言えず、啄木の真価が認められたのは戦後になってからと言える。
生涯五十年、作歌生活五十年に及ぶ茂吉。歌壇だけでなく、医師として社会的にも認められた茂吉に対し、啄木は貧困にあえぎ、また傍若無人に借金を重ね、二十七才で死去した。彼の歌を読むと、寒々しい彼の心象風景が浮かんでくる。
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
しつとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
いずれも石川啄木『一握の砂』に収められた歌である。私が啄木の歌において感じるものは質感である。〈さらさらと〉した砂や〈しっとり〉としたなみだ。そこには啄木がこの世で何かをつかもうと手を差し出したような生々しさがある。
この二首の他にも、質感のある啄木の歌がある。いずれも『悲しき玩具』に収められている。
しつとりと
水を吸ひたる海綿の
重さに似たる心地おぼゆる
目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな
いずれも、啄木が生きていく中で、心情を質感で表したり、何か手触りや手応えを求めようとしているような焦燥を感じるのである。
それに対し、茂吉の『赤光』は、その主題の通り色と光に満ち溢れている。
あかあかと朝焼けにけりひんがしの山竝の天朝焼けにけり
かなしさは日光のもとダアリアの紅色ふかくくろぐろと咲く
白き華しろくかがやき赤き華赤き光を放ちゐるところ
茂吉と言えば「赤」というほどに、茂吉の歌集には赤が歌われる。茂吉の眼は、赤に強くとらわれているように感じられるほどである。
もろもろは裸になれと衣剥ぐひとりの婆の口赤きところ
赤茄子の腐れていたるところより幾程もなき歩みなりけり
蚕の室に放ちしほたるあかねさす昼なりければ首は赤しも
地獄絵の鬼婆の姿、茂吉の眼に色鮮やかに映るのは、舌の赤さであり、トマトの腐れている姿に、通りすぎた後で何かを感じ、足を止める。茂吉が歌う蛍は、闇夜に光る蛍ではなく、昼に初めて気付く蛍の首の赤さであった。茂吉はこの世の中で、赤の持つ生命感、ときとしては赤の持つおどろおどろしさに魅入られているようである。正岡子規の流れをくむ、視覚的で素朴な茂吉の歌は、読んでいる側にもありありと色を浮かばせる。茂吉の色を歌う歌は生き生きと鮮やかで、生きている実感にあふれている。
啄木の歌にも色を歌うものがある。
うすみどり
飲めば身体が水のごと透きとほるてふ
薬はなきか
馬鈴薯のうす紫の花に降る
雨を思へり
都の雨に
生命感というには輪郭がはっきりしない。また、あまり強く惹き付けられない歌である。そして、啄木と色についてよく表れている歌がある。
あたらしきサラドの色の
うれしさに、
箸とりあげて見は見つれども――
この歌は、新鮮な野菜の持つ美しい青々しさに啄木がひるんでいるような、言葉につまるような印象が浮かぶ。また、他にも啄木と色に関する歌がある。
さびしきは
色にしたしまぬ目のゆゑと
赤き花など買はせけるかな
世の中の明るさのみを吸ふごとき
黒き瞳の
今も目にあり
啄木は自らの目を〈色にしたしまぬ〉とし、〈黒き瞳〉が明るさを〈吸ふ〉と表現している。私は、この〈吸ふ〉という言葉は明るさを吸い取ってしまうということではなく、目が呼吸をするということではないかと感じる。啄木の目は色ではなく、匂いをかぎとるのだ。
『一握の砂』を読んでいくと、虚無感や絶望感、不全感が歌われていく中で、生命感のある啄木を垣間見ることがある。啄木の感情だけでなく、五感、感覚が感じられる歌である。
新しきインクのにほひ
栓抜けば
飢ゑたる腹に沁むがかなしも
あたらしき洋書の紙の
香をかぎて
一途に金を欲しと思ひしが
どの歌も、生きる喜びを歌ったものとは言えないが、〈新しきインク〉や紙の〈にほひ〉を嗅ぐことで、食を思い、金を思い、生きることに執着しようとする啄木が浮かぶ。匂いについて歌う啄木は、生きている啄木を読み手にも実感させる。
水のごと
身体をひたすかなしみに
葱の香などのまじれる夕
垢じみし袷の襟よ
かなしくも
ふるさとの胡桃焼くるにほひす
そことなく
蜜柑の皮の焼くるごときにほひ残りて
夕となりぬ
啄木の歌う色はあまり鮮やかではなく、歌の中に匂いが漂うと、とたんに歌が生きてくるように私には感じられる。啄木の嗅ぎ取る匂いは〈葱の香〉、〈ふるさとの胡桃焼くるにほひ〉や〈蜜柑の皮を焼くるごときにほひ〉と、独特で、そこに啄木を感じ取ることができる。
〈あたらしきサラドの色〉にはひるんだ啄木だが、匂いになれば違う。
新しきサラドの皿の
酢のかをり
こころに沁みてかなしき夕
〈酢のかをり〉が〈こころに沁みてかなしき〉と歌うのである。新鮮な野菜と、酢のつんとした香りが、啄木には悲しく響いたのであろう。
茂吉と啄木の相違は、「視覚」と「嗅覚」の相違なのである。茂吉の短歌は光と色に満ち、読む者の眼前にくっきりとした風景を浮かばせる。それに対し、啄木の歌は匂いを放ち、質感を持つ。そして、読む者にその場の空気を感じさせる。
では、二人の共通点はどこにあるのだろうか。
茂吉のふるさとは山形県南村山郡金瓶村(現上山市)である。啄木のふるさとは岩手県南岩手郡日戸村である。二人は東京で死ぬが、遠くにふるさとを持つ。二人の歌集には幾つかのふるさとを歌う歌がある。
私も東北の出身だが、ふるさとの訛りだけでなく、東北の訛りを聞くだけで懐かしく、心が休まる思いがする。啄木の歌の中でも広く知られている歌だが、
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聞きにゆく
この歌の持つ甘さや弱さは、ふるさとを離れ生活する者には優しく受け入れられるものであると思う。どこかひねくれているような啄木が、いそいそと停車場に歩いていく姿は人間としていとおしい姿であると感じられる。
やまひある獣のごとき
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし
やはらかに柳あをめる
北上の岸邊目に見ゆ
泣けとごとくに
啄木はふるさとを恋しがり、回想の中でふるさとに帰ったという。傍若無人で、人を困らせ続け、そしてまた社会に認められることのないまま死んだ啄木にとって、思い出の中のふるさとだけはいつも優しかったのではないだろうか。
茂吉は啄木とは違い、幾度となく帰郷している。母の臨終の際に故郷に急ぎ、母の死に寄り添ったことは『赤光』の中にも明らかである。
みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞいそぐなりけれ
吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり
死に近き母に添い寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる
故郷山形の雄大な自然に対し、一つの命が消えゆく儚さがひしひしと迫ってくる。『赤光』の中の「死にたまふ母」の部分は四部構成になっているが、母の葬儀を終えた後にあたる「其の四」に歌われる山形の自然は、悠々としている。茂吉が故郷の自然に癒されて行くようにも感じられる。
ほのかにも通草の花の散りぬれば山鳩のこゑ現なるかな
火の山の麓にいづる酸の温泉に一夜ひたりてかなしみにけり
ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり
ふるさとから離れて故郷を恋しがり、幾度となく歌った啄木と、数十回に及び帰郷し、ふるさとを歌った茂吉。二人の歌人の選ぶ細かなモチーフは違っても、二人が同じように北のふるさとを愛し、ふるさとを歌うことで癒されていたことが感じられる。
ふるさとは人の心をいつまでも惹きつけ、すりきれた心を癒してくれる。才を見こまれ、十四才で故郷を離れ、養子縁組をし、医師となった茂吉。十七才で飛び出すようにして上京した啄木。そして、歌人として認められ多くの歌集を残した茂吉。たった二つの歌集、歌人として認められぬままに若くして死んだ啄木。二人には大きな隔たりがあるように感じられるが、二人の間にはふるさとへの思いという共通点があり、その思いは歌人同士だけでなく、歌を味わう側にもつながりを結ぶのである。
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